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トルコ風呂、ピンサロ隆盛期

 ポスト赤線として風俗業界に現れたのが、トルコ風呂である。1956年の『売春防止法』で本番をする店が完全に廃止され、〝浴場〟として営業を始めたトルコ風呂。といっても、日本で初めてのトルコ風呂は、まだ赤線が全盛だった1951年、東銀座で開店した『東京温泉』が最初である。

「本番はしないけど、手でのヌキはしてくれてたね。50年代に入ってから本番のウワサもちらほらはあったけど。最初はホントにマッサージ風呂だったからなぁ。」(ストリップ劇場常連)

 当初のトルコ風呂は、浴室内でトルコ嬢が背中を流し、マッサージをするというマッサージ風呂だったが、それだけでは終わらなかったというわけだ。
 「スパシャル」といわれた男性器を指で刺激するサービス、「ダブル」という相互に性器を刺激しあうサービス、果ては、舌で肉体を刺激する「ナメクジ」、男性1人に対して2人のトルコ嬢が責める「二輪車」など、トルコ特有の呼び名と技が生まれた。
 売春防止法に対応して進出したのは、トルコ風呂ばかりではない。ピンク喫茶やゴーゴークラブなどのソフトアダルトの類いができたのもこの時期。

「喫茶店として認可が下りているお店で、露出の激しい女性が給仕をしてくれるんです。ゴーゴークラブの場合は、女の子がトップレスでお立ち台の上で踊り、キャバクラのように接待してくれるんですよ。」(のぞき部屋店員)

 この手のソフト路線は、基本的にお触りはナシで見るだけが常套だったが、昭和40年代(1956~)に過激さを増し、トップレス、ノーパン喫茶、さらにはのぞき部屋にまで派生。1970年代中盤から相互にお触りをしたり、女性が何人も回転する花びら回転のピンクサロンへと行き着く。

「ピンサロは当時、僕らの間では『ハッスルキャバレー』と言われて、毎日がお祭りのような景気の良いサービスをするのが売りでした。他の風俗とは一線を画す、従業員にとっても誇り高い仕事だったんですよ」(ピンクサロン経営者)

 一方、トルコ風呂は、1980年代に「国にとって不名誉な名称なので、改めて欲しい。」と、トルコ人によって訴えられ、業界団体は名称を「ソープランド」に変更。
 80年代に入ると「マントル」や「ホテトル」も急増、素人売春の愛人バンクやデートクラブなども出現し、性産業はますます膨張していった。
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トルコ風呂、ピンサロ隆盛期 風俗の歴史

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